◆インタビュー企画「こどもあつめ」vol.6 本田隆行さん

わくわくキッズのインタビュー企画「こどもあつめ」

第6回目のゲストは、科学コミュニケーターとして幅広く活躍されている

本田 隆行(ほんだ たかゆき)さん です!

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本田 隆行  HONDA TAKAYUKI

《プロフィール》

理学修士(地球惑星科学)。地方公務員事務職・国立の科学館勤務を経て、国内でも稀有なフリーランスの科学コミュニケーターとして活動中。 科学関連の展示プランニングや実演の実施・監修、大学講師やイベントファシリテーター、行政との連携、執筆業など何でもこなす。 著書・監修など多数。

サイエンスコミュニケーター 本田 隆行 (sc-honda.com)

Q.小学生のときはどんなお子さんでしたか?

ふとっちょです! もう「ザ・健康優良児!」です。食べるの大好きで、動くのは大の苦手。幼稚園の卒園アルバムには、食べてる写真しかありません(笑)。5人兄弟の長男で、年子の妹と4つ下の妹、それと8つ下に双子の弟がいます。弟たちは、(自分が)小学校2年生のときに生まれているから、世話してたイメージが強くて。僕はどちらかというと父母と4人の兄弟の間の立場、生まれた頃からずっと「おにい」なんですよ。親からも「お兄ちゃん」って呼ばれてたからか、自分の名前を呼ばれてもピンとこなくて。(自分の名前に)あんまり愛着がありません。家の中では黙々とテレビ見たり本や新聞読んだり、絵を描いたり。小学5年になるくらいまでは、とにかく家の中で過ごしてました。でも、きっと外から見ればステレオタイプの「お兄ちゃん」だったんじゃないですかね。

それなりに、なんでもそつなくこなすのは得意でした。家に帰ると妹と弟がいるので、カッコ悪い姿は見せたくないというか…「ちゃんとした兄貴でいたい」っていう気持ちが強かったのかもしれません。宿題ちゃんとやるとか、家の事をちょっと手伝うとか…そんな感じだったんで、大崩れせずに育つことができました(笑)。

Q.学校の中では、どんな遊びをしていたのですか?

高学年になるまでは、休み時間にずっと自由帳に絵を描いているのが好きでした。いろんな図鑑を見るのが好きだったので、図鑑に載っていたものを描いてた気がします。活発にクラスの中でコミュニケーションをとるタイプではなかったですね。「社交的」という言葉からは、ほど遠い。友達との距離の取り方が下手だったんです(笑)大人しくて運動できないふとっちょって、基本的にいじられがちでしょ? 話が面白いふとっちょは、重宝されるんですけど。

そうそう。ある日、雨の日に教室の中で男の子がボールを投げてて、自分は机で絵を描いてたんです。その時、僕にボールがあたって、描いていた線がガリッて歪んでしまったことがあって。男の子は「やってもうた!(やってしまった)」と思ったみたいですが、僕は「今の(ボールが当たったこと)で、描いてた線が良い感じになった!よかったよかった」って言って怒らなかったらしいんです。これ、今でも変わらないんですけど、人に怒れない。感情を表に出せないんです。怒っていても「僕は怒っている」という表現ができない。その後、何か言われるのが怖いんですよね。「いやだ、やめてほしかった」って自分が言っても、相手から「うるせぇ!それが何だ!」って言われたら、怒ったはずなのにさらなるショックを受けてしまうでしょ?それが嫌なんです。そうなるくらいだったら「別に1ページ新しく(めくって絵を)描けばいいや」って、当時はきっとそう思ったんだろうな。

そのくらい人に怒らない、感情を出さない、動かない、めっちゃ食べる(笑)という子どもでした。おかげでニックネームが「ぞうさん」とか「マンモス君」。だから、マンモスが主人公の漫画、描いてましたよ(笑)。

Q.小学生のころの心に残っている思い出を教えてください。

小学5年生くらいの時、円周率が教科書に登場したんですよね。コラムに「3.14には終わりがない」と書いてあって、200桁くらい載ってたんですよ。そこで、給食のデザートをかけて誰が1桁でも多く覚えられるかって競争が始まりました。結局僕が173桁くらい覚えて、みんなの冷凍ミカンをもらって。で、お腹こわしたっていうことが…(笑)。

小学校も後半になると、距離の取り方が分かってきたというか馴染んできたというか、友達がちょっとずつ増えて来たんです。体の動かし方を覚え始めた頃から、サッカーとかドッジボールとかバスケとか、男の子遊びができるようにできるようになったんです。そのくらいから男の子の友達も増えました。

あ、そうだ。僕の小学生の時の代名詞が「半袖」でした。僕は年中半袖で、友達に年中半ズボンの子がいて、どっちが最後まで(半袖または半ズボンで)耐えられるか「半袖vs半ズボン」の戦いが始まりました。結局、寒い冬のある日、友達がジャージの長ズボンはいてきたんですよね。僕はずっと半袖だったんで、僕の勝ち。でももうなんだか引くに引けなくなって(笑)。結局、高学年で一回もTシャツ以外の物を着ず…僕、卒業式の写真半袖なんですよ(笑)中学校に入ると制服があるでしょ?冬服だと長袖なんですけど、あまりにも長袖が嫌すぎて中学校入る前に中学校に「入学式から夏服着たらだめですか」って聞いたら、もちろんダメって言われました。当たり前ですよね(笑)。

小学5、6年生で、いろんな友達とやり取りする楽しさを知りました。あいかわらず僕は我を出すのが苦手でしたけど。本当にこれは今でもそうなんです。巻き込まれるのは大好きですけど、人を誘うのは大の苦手なんです。その人はその人の時間で生きてますよね。僕が誘ったことでその時間の邪魔をしたら申し訳ないなって思っちゃって。だから電話かけたり、友達の家にピンポンして「遊ぼ~」ってのができなかった。今でもそうです。自分から「飲みに行こうぜ」って言えない(笑)。今でも、自分からは友達に声をかけないので、相手が忙しくなると全然会わない。だから、できるだけ人に巻き込まれるように動いてます。

(お話上手な本田さん、インタビュー中もところどころ笑いがおきました)

Q.どちらかというと引っ込み思案だった本田さんが、人前で話せるようになったきっかけはあるのですか?

きっかけは小学校の児童会(中学などの生徒会のようなもの)です。小学5年生の時に周りの子から推薦されて立候補したんですけど、結局その時は落選してしまいました。選挙の時に人前で話すのはめっちゃ恥ずかしかったんですけど、いざ終わってみるとね、負けると悔しくて。小学6年生で、今度は自分から会長に立候補して受かりました。その頃から「人前で話すのって、ちょっとおもしろいかも…目立つのってちょっと楽しいかも…」って思い始めて。

その後、会長をやったことがきっかけで中学の入学式でも「新入生の言葉」を読むことになって、あの緊張感は(自分にとって)もう楽しかったんですよね。入学式の前の日に校長先生とだけリハーサルして、で、当日はド緊張して礼するの忘れていきなり話し始めてしまったんですけど。でも、それも含めて人前で注目を集める楽しさを次々に味わってしまった。ゆえに、いつの間にか前でしゃべるのが楽しくなっちゃって、人前に立つ抵抗がなくなった。

でも、ただ目立つだけってのは嫌なんですよね。だんだんと皆の中にとけこんで、いつの間にかみんなの中にいても違和感がないようになる、ってのがいい。「そういえば、いつから友達やったっけ?」「分からへん(笑)」みたいなのって、理想形ですね。

Q.好きだった給食はありますか?

お腹壊しましたけど、冷凍ミカン!(笑)いや、基本、何でも食べるんですよ。大兄弟だったので好き嫌いとか言ってたら食べる物ないですから。でも強いていえば…マグロの南蛮漬けとか。甘辛いのが好きでした。あと、わかめごはん。わかめご飯は、今でも大好きです!

Q.苦手だった給食はありますか?

食べられないものはほとんどないですが、小学校のころまで苦手だったのは高野豆腐。触感が…苦手でした。ジワって出汁が出てくるのが「スポンジ?」って思っちゃって。でも大きくなってから食べたら「うまいやん!」ってなって、それからは大好きになりました。

Q.好きだった教科・苦手だった教科を教えてください

好きだったのは図工です。工作したり絵を描いたり、好きでしたねぇ。

苦手だったのは…体育かなぁ(笑)。でもそれも、小学校低学年の頃までです。高学年になると動けるデブになりましたから。特に縄跳びは得意で、三重飛び、やってましたね。身体160cm台後半で、体重70kgくらいあったやつが、(身体を)ゆっさゆっさって飛んでました(笑)。

Q.失礼ですが、そのような大きな体から今のスリムな本田さんになったのは何があったのでしょうか?

ちょうどスラムダンク世代なもので、中学校で周りが続々バスケ部に入ったんです。すると僕の名前もいつの間にか書かれていて(笑)。…でも僕どう考えたってポジションが「安西先生」なんです。バスケ部の中に、1人だけ安西先生が混ざってる!みたいになりますよね。もちろん体力0なもんで、先輩からしごきの標的ですよ。「とにかくずっと外周走ってこーい、腕立て伏せしろー、空気イスやー、はいできなかったからさっきの倍なー」ってな具合で。しごかれすぎると、人ってご飯が喉を通らないんですよね。お弁当食べた後しごかれると気持ち悪くなっちゃうんで、お弁当の量もだんだん減っていき…。親方弁当(大きなお弁当)だったのが、いつの間にかOLさんが食べるヘルシーなお弁当みたくなって。それが続いたら、夏までに20kgちょっと減りましたかね。急激に体重が落ちたもんで、太ってたころの体重を支える足の筋肉だけは残ったんです。体のお守りを全部脱いだ感じになったので、やたらジャンプ力がついちゃって。おかげでバスケ部の中では特にジャンプボールで重宝されましたね。しかし、よくやめなかったな自分…って思います。よく耐えた。

でも、中学に入って急に痩せた者で見た目が変わりすぎて、中学1年生の夏休みに田舎に帰った時、おばあちゃんが僕って気づかなくて。「誰だい?」って言われて「隆行だ!」って言ったら、「ちがう!隆行はそんなんじゃない!隆行はもっと肥えてよぅ食べる子だ!」って(笑)

Q.印象に残っている先生はいますか?

3、4年生の時の担任の女の先生がめちゃくちゃ優しい人でした。学年が上がって担任が変わった夏休み、その先生がご家族で出かけた先で交通事故にあって亡くなられたんです。急にいなくなったことにもびっくりしたし…会える人には会えるうちに会って、仲良くできる時間はさんざん仲良くしておかないと、会えなくなるのは急だ、っていうのはその時感じましたね。あと、(ご家族で出かけられたときの事故ということで)先生にプライベートがあるっていうのも、その時実感しました。

他には、キャラクターの濃い先生はいっぱいいましたね。小学4年生のときにクラブ活動で科学クラブに入ったんですけど、その先生が本当に(実験を)面白そうにする。でも、(クラブの子供たちは)誰もついていってなかった(笑)すごくニヤニヤしながら炎色反応とかやってたのを覚えてます。なんて冷静な4年生や(笑)。

Q.子どもの頃から科学に興味があったのですか?

幼稚園のころに『自然のアルバム』っていう自然系の生き物やら星やらが載っている本をずっと借りてました。僕は物語が苦手で、フィクションに入り込めないタイプだったんですね。みんな読んでたような『ズッコケ三人組』とか、まったく読めなかった。

逆に図鑑とか写真とかリアルなものが好きで、特にかこさとしさんの絵本で「宇宙」「地球」「海」などの大判絵本にめちゃくちゃハマりました。それで、田舎に帰った時に親戚のおじさんおばさんに、宇宙の絵本で覚えたまま「あれは、○○座だね」なんて話てたら、やたら喜んでくれた。多分それが科学を伝える楽しさを知った入口でしたね。僕は、自分が知るのが好きだっていうよりは、他人と知を共有する楽しさの方を先に覚えたんだと思います。「次、田舎に帰ったときにまた話してね」って親戚が言ってくれるから、また情報を仕入れては、共有するわけですよ。1人で楽しむって感じではなかったです。科学に興味はあったけど、科学のことを自分だけで楽しむっていうよりは、広げられる人がいたからうまく沼にハマれたなって、それはすごく思います。

加えて、そのころ時事的な話題でも宇宙とか地球に関する話題が豊富でした。小学校2年生のときに日本人で初めて秋山さんが宇宙に行き、雲仙普賢岳の噴火や、毛利衛さんが宇宙にいったのが小学4年生のとき。そういうニュースに年1回くらいふれていたのも(科学に興味を持つうえで)大きかったと思います。科学の中でも地学、スケールの大きいもの好きだったのも余計に拍車をかけたのかも。

Q.子どもは何か習い事はしていましたか?

僕は習い事は一切やってませんでした。周りの子は習い事や塾に行く子も多かったですけど、自分は家に帰ったら、もう勉強はしたくなかった。兄弟5人の団地暮らしだったので、金銭面の余裕がないことにも気づいてます(笑)。4人も下にいるし自分ばかりにお金かけるようなことは言ってられんな、と。なので予備校も塾も、一切行きませんでした。自分にはこう言い聞かせましたよ。「周りはお金をかけて賢くなって、高校・大学にいく。でも、学校でもらった教科書と参考書だけで同じ高校や大学に行けたら、すっごいお得やん!超安上がりやん!」って。普段の定期テストで塾に行っている人よりも得点が良かったら、めっちゃ得した気分になってました(笑) すげーコスパいいやん!って。大学受験も私立は受けたところで行けないってことで、受けませんでした。親には、その分を妹や弟に回してくれって言って納得してもらって。

結局、小学校から高校まで公立、大学が国立でそのあと公務員になったでしょ?親からしたら「なんてコスパの良い兄貴」だったはず。だったはずなのに、安定したと思ったら、大どんでん返しですよね。「公務員やめて、東京で任期付きの仕事しまーす」って。「なんでやねーん!」ですよね(笑)

Q.その裏には並々ならぬ努力があったのですね。

あったんでしょうかね(笑)でも、その分失ったものもあります。我を通すとか、わがままになるとか、そういった面は幼少期のどこかにおいてきました。自分を出せる人が羨ましいって思うこともあります。いつも遅刻してるやつが1回遅刻しなかっただけで褒められるとか、世の中って不条理だなって思ったりして。でも、見てる人は見てるだろうし、だんだんと生き方に無理をしないようになってきました。昔はいつもすごい気を張っていて、人からしっかりして見られたい気持ちが強かった。でも30歳超えて科学未来館に転職した辺りから一気に肩の荷を下ろしたというか。昔は、宅配便の人に寝ぐせを見られたくなかったので朝必ず髪の毛を整えて、着替えて、すぐ外に出られるような状態じゃないと人と会えませんでした。友達と泊りに行くのも苦手だったんです。一緒に風呂入るのも抵抗があったし、寝ている姿も見られたくない。油断している姿を人に見られたくなかったんですね。今となっては、なんであんなに気を張ってたんだろう…って思いますけど(笑)今やすっかり日常生活から脱力感満点ですよ(笑)まぁ30歳超えてから急に脱力できるようになったのは、今までの経験があったからだろうな。外から自分を俯瞰できる能力を手に入れたっていうのが大きかったですね。

Q.座右の銘をおしえてください

あんまり座右の銘を考えずに生きてきた人間なんですが…「欲張ることは良いことだ」という言葉は、よく言いますね。欲張ることに抵抗がある人も多いかもしれませんが…。

例えば、塾に行かなくちゃいけないから野球やめますとか、受験があるのでピアノやめます、とか、すぐ2択の選択をしがちですよね。でも、「そんなにすぐに1こに絞らなくてもよくない?」っていう気持ちがあります。やりたいことが2こあったら2こやればいいし、2こできないと思ったら力をかけるバランス変えればいい。やめたからってもう二度とできないわけでもないし、欲張れるだけ欲張ってみて、欲張れないなって思ったときに手の放し方を変えたらいいんじゃない?って思って今まで生きてきました。

自分の心の声には正直になった方がいいというか、特に知的好奇心には制限かけなくていいんじゃない?って、ずっと思っています。やりたいことは、どん欲に。塾に行きながら野球ができる方法を探せばいいし、野球とサッカーどちらかにしぼらなくても良いし、やってみてからウエイトのかけ方を考えたらいい。「今じゃなくてもできることは、後回しにしてもいいじゃん」って。その分、自分の選択には最後まで責任を持つこととセットですけどね。

中学校の時にしかできないことは、中学校の頃にやっておかないともったいないし、高校の時も然り。大学生になってからできることは、大学生の時にやりゃいいと思っていました。だから僕高校生の時にバイトはしなかったんですよ。その分、高校生のころは地域の「高校生まちづくり」ボランティアをしてみたり、友達の家業の大工の手伝いを経験させてもらったりしました(笑)大学の時も、庭師の手伝いのバイトとか、きっとこの先やることないだろうな、ということばっかりやっていましたね。やってみないと分かんないことも多いし、今後それができる保障はないんだったら、今やっておかないともったいないと思っちゃって。

Q.本田さんはいつもどこか自分を俯瞰(ふかん)してみているようですね。

それは小学生の頃からずっとそうです。友達の中で、僕はどこにいたら一番バランスがとれるんだろうっていうのを考えていました。出すぎて嫌がられるのもイヤ、引きすぎて忘れられるのもイヤ、教室の中だったらどのポジションに自分を置くのが一番都合が良いかと考えていました。

家族の中でもそうですね。「妹が今こうだから、親がここにいるから、僕はこういう立ち振る舞いをするのがよいだろう」って。常に人の中で生きているので、僕が何したいじゃなくてこの中で自分がどう振る舞うのが一番いいのかっていうのをずっと考えてたのが、今の思考のクセになってると思います。だからこそ、人と絡まなくても良いときはわざわざいかない。一人でいれる時は「一人でいっか」っていう風に思っています。だから、2・3週間人に会わなくても全然平気。引きこもれるんです(笑)

陰キャといえば、そうかもしれません。「陽」を求められたら陽になれるし、求められないのであれば無理に陽にならなくていい。昔は、自分のキャラクターが不安定なことが嫌で仕方なかったですけど。「自分はどういうキャラクターなんだろうか」って、迷子になっちゃって。時に陰キャ、時には陽キャ。それが自分でわかっちゃってるんで嫌だったんですよね。でも、嫌だった自分のテクニックが、今では仕事として活きているので、そういう意味では、今の仕事は(自分にとって)良い仕事見つけたなって思います。

自分が「嫌だなぁ」と思っている部分も個性じゃないですか。その個性が生かせる場所っていうのが、どこかにある。それは今見つからないだけで、そういう場所がなかったら作ればいいし、無理して周りに合わせる必要もない。ただ、「そりゃ悩むよね」とは思いますけどね(笑)。

今の子ども達にメッセージをお願いします。

ぼくは小学生のころ、明るいタイプではなかったので、自分がどんなこと言われると嬉しかったかな…。あ、「無理すんな」ですかね。無理してまで周りに合わせなくてもいいし、無理してまで自分を変えなくてもいい。無理してまで人と仲良くなろうって自分を責め立てなくていい。楽しいことがあったら無理にならない程度に楽しめばいいし…何でも力みすぎると良いことないです。楽しいこともツッコみすぎるとだんだん苦しくなってくるので、楽しいことは楽しい状況をできるだけ長く楽しめた方がいい。そうなると、無理しないっていうのが良いです。リラックスするというか、力まない、できるだけ無理しない。頑張らないという意味かって言ったらそうじゃなくて、無理せず頑張ることもできる。自分が「無理だな、苦しいな」って思ったら一休みしたり、そういう自分を「今、無理してるな」って思ったりするだけでも変わると思います。無理しないって大事ですよ。

(最後は楽しいポーズで、インタビュー終了)

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 本田さん、ありがとうございました😊

現在の華やかな舞台でのご活躍、また実直に科学コミュニケーションを追及しているお姿は、本田さんのこれまでの積み重ねがあったからなのですね。

子どもたちへの温かなメッセージもありがとうございました。

わくわくキッズ 阿部 麻里

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